ラジャットグプタ氏のキャリアから感じる世の中のありかた

元ゴールドマンのグプタ被告〜というブルームバーグの記事を見て、いくらエリートになっても、そしてはたから見たらものすごい経歴でお金に困っていなそうな人でさえもこういう末路をたどってしまいうるんだなぁと心に残ったので適当にまとめる。

記事に書かれているのは、ラジャットグプタ氏。日本語で探してもあんまり出てこないが、英語のwikiによると、インドのコルカタ生まれ。若くして(10代)両親を亡くしてしまうが、インドの名門IITを卒業し、さらにその2年後にはハーバードビジネススクールMBAをとる。その際ベイカスカラー。20歳くらいで初めて飛行機を目にした、らしい。卒業後はマッキンゼーで約30年間働き、西洋のグローバル企業で、インド出身者で初めてCEOとなる。その後もいろんな会社のエライ役を歴任。

そんな超ドエリートなのにもかかわらず、インサイダーに手を出してしまう。非公開情報をヘッジファンド創業者に提供。何故、ものすごい努力のもとに勝ち取ったであろうこのようなキャリアの末にインサイダーなどに手を出してしまったのか。必ずしもお金が目的だったとは限らない。もしかしたら、ただ単に良好な関係を築いておきたいがために、情報というある意味お金以上に重要なものを渡してしまったのかもしれない。

しかし、仮にお金が目的だったとすると…と考えると、非常に空しく感じてしまった。もっと金銭的に余裕があれば…と思うことは誰でもある程度はあると思うが、おそらくその先にあるのは、ずっとその感覚なのだろう。つまり、何故それが欲しいのかということなしには永遠にその考えに縛られるはず。仮に大金を手にしても今度はハイパーインフレなどが心配になったり。

そこで逆の考え方として、なぜお金が必要かと考えると生活をしていくため、となる。そうすると、お金よりも実は困った時に生活ができる方法を考えるのが得策であり、ハッピーでもある。だからこそ、モノにお金をかけない若者が取りざたされたり、シェアハウスが流行ったりするのではないか。そこには、贅沢ではなくて・お金ではなくて、生活する方法を模索する姿があるように感じられる。

リスクを取ったほうがリターンが大きいのは当たり前だが、今の日本(+多くの先進国)の場合には、頑張るという投資・リスクに対して見合ってるリターンが相対的に低いのではないか。つまり、そこまでの頑張り・投資を行わなくてもある程度の生活は出来る。一方で、頑張ったところでものすごく抜けることができなければ、そこまで大きなリターンも見込めない。ならば、出来る範囲の幸せを探そう、という結論になるのも致し方ない。逆に頑張っても頑張っても何を目指してるかわからずラットレースで疲れてしまう、それよりは…という考え方が強いのではないか。一方でそれでは停滞につながり、じわじわと自分たちが苦しむことになりかねない。

経済発展は技術革新からもたらされるべきだと思うし、それに伴って人々の生活は豊かになるべきだと思うし、そしてそういう社会を目指して(=夢見て)人々が働いていく、そういうのが理想的なのではないかと感じた。だいぶ逸れたが雑感。