米国製エリートは本当にすごいのか?

米国製エリートは本当にすごいのか?

米国製エリートは本当にすごいのか?

表題の本を読んだ。金融危機の後、アメリカ型資本主義が色々と糾弾されて新興国が台頭してくる中で、「じゃあ仮にMBAとるとしたら中国とかシンガポールでとるのがいいのかそれともまだやっぱりアメリカなのか?」という個人的な疑問があり、読んでみた。

本全体としては、アメリカ万歳というばかりでなくどこがよくてどこがダメなのか、日本や他の国と対比しながら書かれているので、偏りなく読める。

結論から言うと、米国製エリートは多分やっぱりすごいんだと思う。

アメリカ△な面】
まずアメリカのエリート教育マンセー的な観点から言うと、
・インプットアウトプットの量
・歴史、経済への意識
・豊富なディスカッションやグループワークのチャンス
あたりがポイントなのかなと思う。

というのも、著者はよいアウトプットを出すのに以下の3点:
1.良質な知識と情報
2.頭とセンスの良さ
3.対話のスキル
が必要だと言っていて、その意味ではインプットアウトプットの量、インタラクティブな授業・コースの豊富さによってカバーされているのだと思う。これらを基にして、仕組みづくりを行うのがとにかくうまい。それがアメリカという国の生み出すエリートなのではと思う。

アメリカ終了な面】
一方で、アメリカ型がいつまでも続くと思うなよ。と思うのは、以下のような点から。
・自分たちが生み出す仕組みは普遍的で常にapplicableだと思っている点
・海外に興味がないこと
まず1点目については、確かに仕組みづくりはうまいし、本の中で「歴史が浅いからこそ歴史をよく学ぶ」にもあるように、歴史についても学んでるらしい。けど、あくまで生み出すのは米国型(アメリカで生まれてんだから当たり前だけど)のもので、自分たちの方法がどこでもうまくいくと思っているらしい点。例えばイラク戦争のあと、フセインがいなくなって混沌としており、政治を任せられる人材もいなく明らかに機能していない中で選挙を行おうとして、更なる混沌を生み出したのが一つ挙げられる。

2点目は関連するけど、海外に行っても英語が通じないとなぜだと怒り出す、現地の慣習をあまり踏襲しないといったことがあるらしい。今後、明らかに多様な価値観が求められるのに、これらのような画一的な考え方で仕組みづくりを行っていっても、どこかで破綻するのだと思う。まあそのへんもわかっていて、迎合的に自分たちが合わせていくか、他を巻き込むような仕組みを新たに考えだすのだろうけど。

【+αの雑感】
最後に、内向きとか外向きとか言うけれども、日本はもう成熟社会なのだからそれは仕方ないというか一つのアイディアではないかと読んでいて感じた。

資本主義の基本は、頑張った人が報われるというもので、事実成長社会では、頑張る→成果出る→報われる、という成功モデルがあったのが最近ではそうでもない。そのとき、生活が不自由になるのならともかく、今さかんに叫ばれている「若者」は多くが生活に不自由はないのだと思う。

そうなると、別に現状維持でいいという姿勢はむしろ普通で、「海外に行け、そうしないと停滞する」というのは「成長こそが人間の目標」というのが前提になっていると思う。そしてそういった思想をもって広めているのは「若者」に対する「大人」であろう。その人たちは成長社会を体験しているから。でも現代日本では、成長しなくてもある程度の生活が望める、だったら生活水準はこのままで他の事に時間を割こうというのはただの価値観の多様化なんじゃないだろうか。それを否定するのはオカシな話のような気がする。